その他::「がんの痛みのコントロール」より
あとがきにかえて (第4版より)-「がんの痛みのコントロール」-
(この文章は、医療従事者の方々向けに発行している冊子『がんの痛みのコントロール ~除痛率100%をめざして~ 』第4版に掲載した 宮垣 拓也 医師のあとがき文です)
第4版 あとがきにかえて
いきなり「除痛率100%を目指して」なんて大仰なサブタイトルを付けましたが、こういったお話もたえず心の隅にとどめ、よりまっとうな疼痛管理が皆さんと一緒にやれたらなあと思っています。
No Pain,No Gain ボチボチ頑張りましょう。 2004年 元旦 宮垣 拓也
第4版 あとがきにかえて
河合:私は今度、緩和医療学会で話をするんですけどね、苦痛を和らげるということは、絶対的にいいことかどうか分からないということを予稿にちょっと書いたんですよ。そしたら、キュープラー・ロス※の自伝にそれがありますね。苦痛を通じて死んでいくことに意味があるとしたら、苦痛を奪っていいものだろうかと、ものすごくはっきり書いています。ほんとに僕ね、苦痛を緩和するということは、ものすごく難しいなと思ってるんです。
柳田:もちろん緩和ケアというのはたしかに大事ではあると思うんです。がんに冒されて七転八倒するような激痛に襲われると、人格まで崩れていく。それを抑えるということはとても大事なことだと一方で思うんです。ただ緩和ケアは危険な落とし穴を持っている。それはテクニカルに痛みを治療することがターミナル・ケアだと思ってしまう恐れがあることです。
河合:ロスは安楽死について、「不快だからという理由で安易に患者を安楽死に導いている。これは患者が卒業する前に、最後の教訓を学ぶ機会を、患者から奪っていることに気づいていないからだ」と書いている。これは鋭い指摘ですね。だから僕も柳田さんに賛成で、人格が破壊されるほどの痛みなんかには堪える必要は全然ないと思うんだけど、ともかく痛みなんかはないほうがいいというふうに頭から考えるのは問題だなと思ってるんです。フロイトはその点、すごくてね。がんに冒されて死の床にあるとき、自分が痛みに堪えるということに意味があると思う限り堪えます、と。しかし、痛みに堪えることが無意味であると思ったときには自分で言うから、あとは頼むと言ったんです。最後は娘のアンナと主治医とを呼んで、もうこれ以上痛みに堪えることは無意味であると。それで麻酔薬を打ってもらって死ぬんです。あれは見事ですね。
河合隼雄 柳田邦男 特別対談 「死ぬ瞬間」と死後の世界 より
いきなり「除痛率100%を目指して」なんて大仰なサブタイトルを付けましたが、こういったお話もたえず心の隅にとどめ、よりまっとうな疼痛管理が皆さんと一緒にやれたらなあと思っています。
No Pain,No Gain ボチボチ頑張りましょう。 2004年 元旦 宮垣 拓也
キュープラー・ロス
(エリザベス・キュープラー・ロス 女性 1926~2002)
精神科医、ターミナル・ケアの第一人者です。
スイスのチューリッヒ生まれ、1957年にチューリッヒ大学医学部を卒業、1958年に渡米。勤務していたニューヨークの病院での瀕死の患者様の扱いに疑問を持ち、終末期医療の専門家を目指すようになった方です。
著書は「死ぬ瞬間」「続・死ぬ瞬間」など30冊近く有ります。
| Copyright 2006,10,01, Sunday 10:10am administrator | comments (x) | trackback (x) |