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冊子「がんの痛みのコントロール」の紹介

 がんの痛みに苦しまれる患者さんの症状を少しでも緩和するため、当院では 宮垣 拓也 (外科部長)、三宅 健文 (薬剤科長)を中心として、医療従事者向けに小冊子『がんの痛みのコントロール』を作成、配布しております。

がんの痛みのコントロール第7版
青い表紙が『がんの痛みのコントロール 第7版(2008年4月刊)』です


ご希望の方がいらっしゃいましたら、下記までご連絡くだされば幸甚です。

西陣病院医薬品情報室
電話 075-461-8800(代表)
メール pharm-di@nisijin.net


あとがきにかえて (第4版より)
あとがきにかえて (第5版より)
あとがきにかえて (第7版より)

| Copyright 2008,04,30, Wednesday 10:10am administrator | comments (x) | trackback (x) |

 

あとがきにかえて (第7版より)-「がんの痛みのコントロール」-

(この文章は、医療従事者の方々向けに発行している冊子『がんの痛みのコントロール ~除痛率100%をめざして~ 』第7版に掲載した 宮垣 拓也 医師のあとがき文です)

第7版 あとがきにかえて

柳原:この4ヵ月、毎日、誰とも語らず、どこにも出ず、ただただ痛みに耐えてきたんですね。それで、痛みにひとつだけ効用があることがわかったんです。何だと思います?
加島:わかんないなあ。痛みはすごく怖いといつも思う弱虫だもの。ただ若い時、自分の腕をぶちきろうとしたけど、痛みはあまりおぼえていない。
柳原:私の結論はね、死ぬことが怖くなくなる。死ぬことが解放になる。この痛みから抜け出られるなら、死ぬってすてきなことだと思わせてくれる、その装置をつくってるんだということを、知りました。
加島:それはそうだ。痛みは死へのひとつのプロセス、過程ですね。その変化をじっと待って、痛みに耐える人になったら、大したもんだよ。僕にはできないけど。
柳原:変化を見る余裕はなかったですね・・・・・耐えるしかなかったから。
加島:『老子』から学んだ一番大きな思想は「すべては変化する」ということでしたね。それを実感したのは・・・・・
婦人公論 2008年3月22号より


 卵管癌と告知されて10年余、治療後再発し「余命半年」と云われてから4年余。その間、「がん患者学」「百万回の永訣-がん再発日記」など数々の作品を上梓され果敢にがんと闘われたノンフィクション作家の柳原和子さんがこの3月初めの日曜の朝、家族や仲間が目を話したわずかな間に、自分でその時を選んだかのように静かに笑顔で逝かれました。
「ああ。木に出会いたい。海に出会いたい。光を浴びたい。自然を取り戻したい。贅沢な希望」2月初めのこれが最後の文章。冒頭は亡くなられる2ヵ月少し前に行われた詩集「求めない」がベストセラーとなった詩人の加島祥造さんとの対談の一部です。

 この対談を読んだ時、真っ先にキュブラーロスの言葉を思い出しました(第4版あとがきにかえて参照)。本当に難しい。時にドクターショッピングと揶揄されながらも患者さんの切実なニーズに応えつつ、我々医療従事者の自省の契機にもなった作品を次々出版し、医学に精通し多数の優秀な先生方に支えられているはずの柳原さんでもこうなのかと、柳原さんだからこそこうなのかと・・・痛みについても十分勉強されその道のプロにしっかりペインコントロールされているものと思っていた者にとって、痛みに苦しまれている冒頭の対談はある意味衝撃を受けました。勿論この後、然るべき施設で適切な緩和ケアを受けられてこその穏やかな旅立ちだったのでしょうが、まだまだWHOや国が云う治療初期からの緩和ケアの道は険しいですね。
 これからも痛みに苦しまれる患者さんとの出会いは続きます。No Pain,No Gain「痛みなくして得るものなし」の意味を今一度自問自答しながら、山あり谷あり、あっちへ行ったりこっちへ来たり、3歩進んで2歩下がり、諦めず投げ出さずゆっくり頑張っていきましょう。相手の立場に立って、ということをよく言われます。しかし人はしょせん、他人の立場にたつことはできません。また、我々も患者さんも頑張ってどうにかなるほど単純な世界に住んでもいません。また患者さんが諦めることも投げ出すこともけっして悪いことではありません。これらのことを重々承知しながら。

 山頭火ではありませんが「まっすぐな道はさみしい」。無理せず、焦らず、水の流れの如く、溜まりに入っても慌てることなく、よどみも徐々に解かれていくから・・・

                  2008年 早春 宮垣 拓也



山頭火 =種田 山頭火(たねだ さんとうか) 男性 1882~1940

自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人。

| Copyright 2008,04,22, Tuesday 10:55am administrator | comments (x) | trackback (x) |

 

あとがきにかえて (第5版より)-「がんの痛みのコントロール」-

(この文章は、医療従事者の方々向けに発行している冊子『がんの痛みのコントロール ~除痛率100%をめざして~ 』第5版に掲載した 宮垣 拓也 医師のあとがき文です)

第5版 あとがきにかえて

 過日なにげなく新聞に目を通しておりますと、次のようなコラムが飛び込んできました。タイトルは「ケンブリッジの郊外で」。書かれたのは、翻訳家・評論家の清水真砂子氏。しみじみと深く感銘を受けましたので、少し長くなりますが全文を引用させてもらいます。

 ロンドンのタクシー運転手の確実な仕事ぶりは有名だが、地方にいくと、この話、必ずしも通用しない。ある日、私たち夫婦はケンブリッジの駅前でタクシーに乗り、近郊の村に向かった。ところが、どうも、あぶなっかしい。かすかな記憶をたよりに、この辺まで来ればあとは大丈夫と思われるところで車を降りた。だが、いざ歩き出してみると、いまひとつ確信が持てない。家はまばらで、道をきこうにも人の姿はない。見当をつけて歩くうち、ようやく前方から買物袋を両手にさげたおじいさんがやってきた。私たちは声をかけた。と、おじいさんは足を止め、両手の荷物を地べたにおろすと、はい、承りましょ、とまっすぐ私たちの方に向き直った。私たちが行く先の住所を伝えると、彼は私たちの、背丈をたしかめるようにみて、「そうですな、おふたりの脚なら10分とかかりますまい」と言った。私たちは礼を言って別れた。いい顔をしたおじいさんだった。道をたずねて、こんなに丁寧に向かい合ってもらったのは初めてだった。おじいさんはついでではなかった。帰国してしばらくして何かの本で、イギリスの子どもたちは手の荷物は必ず下に置いて人の話を聞くようしつけられていることを知った。その教えを守って、おそらくは七十年を生きてきた人の律儀さを想い、その人生を想った。


 冊子『がんの痛みのコントロール』は、第1版を発行してから約10年。その間緩和医療の発展は目覚しく、終末期医療の世界にとどまらず現代の医療に欠かせぬ重要な柱となりました。痛みの治療も例外でなく、諸外国に比べまだ十分とは言えませんが様々な薬やデバイスが開発導入されました。患者さんに頻回にプロンプトンカクテルなるものを飲んでもらったり、大きな弁当箱のような携帯?ポンプでモルヒネを持続投与していた研修医時代を思い出しますと、オピオイドローテーションなんて夢のような話で隔世の感があります。

 しかしいくら素晴らしい薬やデバイスが開発導入されようと患者さんの訴えをしっかり聴き真撃に対応しなければ昔と同じです。ついでではなく・・・。

 西陣の医療現場でもケンブリッジの郊外に佇むおじいさんを見習い、すべての患者さんが痛みから開放されるべく、再び一緒に歩いていきましょう。

2006年 晩秋 宮垣 拓也

| Copyright 2006,10,01, Sunday 10:10am administrator | comments (x) | trackback (x) |

 

あとがきにかえて (第4版より)-「がんの痛みのコントロール」-

(この文章は、医療従事者の方々向けに発行している冊子『がんの痛みのコントロール ~除痛率100%をめざして~ 』第4版に掲載した 宮垣 拓也 医師のあとがき文です)


第4版 あとがきにかえて

河合:私は今度、緩和医療学会で話をするんですけどね、苦痛を和らげるということは、絶対的にいいことかどうか分からないということを予稿にちょっと書いたんですよ。そしたら、キュープラー・ロスの自伝にそれがありますね。苦痛を通じて死んでいくことに意味があるとしたら、苦痛を奪っていいものだろうかと、ものすごくはっきり書いています。ほんとに僕ね、苦痛を緩和するということは、ものすごく難しいなと思ってるんです。

柳田:もちろん緩和ケアというのはたしかに大事ではあると思うんです。がんに冒されて七転八倒するような激痛に襲われると、人格まで崩れていく。それを抑えるということはとても大事なことだと一方で思うんです。ただ緩和ケアは危険な落とし穴を持っている。それはテクニカルに痛みを治療することがターミナル・ケアだと思ってしまう恐れがあることです。

河合:ロスは安楽死について、「不快だからという理由で安易に患者を安楽死に導いている。これは患者が卒業する前に、最後の教訓を学ぶ機会を、患者から奪っていることに気づいていないからだ」と書いている。これは鋭い指摘ですね。だから僕も柳田さんに賛成で、人格が破壊されるほどの痛みなんかには堪える必要は全然ないと思うんだけど、ともかく痛みなんかはないほうがいいというふうに頭から考えるのは問題だなと思ってるんです。フロイトはその点、すごくてね。がんに冒されて死の床にあるとき、自分が痛みに堪えるということに意味があると思う限り堪えます、と。しかし、痛みに堪えることが無意味であると思ったときには自分で言うから、あとは頼むと言ったんです。最後は娘のアンナと主治医とを呼んで、もうこれ以上痛みに堪えることは無意味であると。それで麻酔薬を打ってもらって死ぬんです。あれは見事ですね。


 河合隼雄 柳田邦男  特別対談 「死ぬ瞬間」と死後の世界  より



いきなり「除痛率100%を目指して」なんて大仰なサブタイトルを付けましたが、こういったお話もたえず心の隅にとどめ、よりまっとうな疼痛管理が皆さんと一緒にやれたらなあと思っています。

No Pain,No Gain ボチボチ頑張りましょう。 2004年 元旦 宮垣 拓也





キュープラー・ロス
(エリザベス・キュープラー・ロス 女性 1926~2002)

精神科医、ターミナル・ケアの第一人者です。
スイスのチューリッヒ生まれ、1957年にチューリッヒ大学医学部を卒業、1958年に渡米。勤務していたニューヨークの病院での瀕死の患者様の扱いに疑問を持ち、終末期医療の専門家を目指すようになった方です。

著書は「死ぬ瞬間」「続・死ぬ瞬間」など30冊近く有ります。

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